NO. 711
坂名:旅団坂
住所:千葉県市川市国府台+市川
今回は千葉県市川市の国府台と市川にまたがる旅団坂について取り上げてみたいと思います。
場所は京成本線・国府台から北に600mほどのところにある和洋女子大学と千葉商科大学の間にある坂道です。

写真1
まずは坂下あたりの様子です。(写真1)
ここは京成本線・国府台から北に徒歩5分ほどのところにありました。
松戸街道沿いにあり、道幅の広めで傾斜もそれなりにある坂道でした。

写真2
写真1のすぐ右側には国府神社の鳥居と参道にあたる急階段がありました。(写真2)
ここから本殿まではかなりの高低差があり、距離も短い区間で上る形だったので、写真2でも中央左上にちらりと見えているとおり急階段でしたね。
国府神社について、現地に案内看板がありました。
いつものように一部抜粋させていただくとですね、
『国府台の地名の起源には、日本武等に関わる伝承があります。それは、日本武尊が東征の帰路に現在の江戸川の辺りに臨んだところ、浅瀬がわからず渡河に難渋したとき、飛んできたコウノトリが浅瀬を渡って案内したことにより、無事渡ることができたので、日本武尊は喜び、この台地をコウノトリに与えたことから、「湯之台」とよばれるようになったという話です(一般的には、国府の近くにあった台地であるから、国府台の名称が起こったと言われています)。この伝承に由来するのが国府神社で、寛治元年(一〇八七)二月八日創建で、祭神が日本武尊、ご神体がコウノトリの嘴(くちばし)、と伝えられています。』
とありました。
1087年創建とのことで、かなり歴史がある神社のようですね。

写真3
中腹あたりの様子です。(写真3)
このあたりからカーブしていて、坂道風景的にも印象的でした。
また切り通しにもなっているようですね。
坂名については、現地に由来などが書かれている坂の碑はありませんでしたが、「国府台陸軍病院の想い出」という古い書籍で旅団坂の名前がでてきていて、本の中では、何度か、かつて坂上あたりにあった国府台陸軍病院へ向かう話で、旅団坂を上りつめて赴任したという感じで出てきていました。(ただし、かつての国府台陸軍病院が、今の国府台病院あたりか、和洋女子大学あたりにあったのかによっては話がすこしややこしくなりますので、あしからず。)
あと「旅団坂」の坂名については、写真3の左あたりに陸軍の野砲連隊第二旅団司令部があったからと書いている坂道系サイトが多々あり、おそらくそれが有力なんでしょうね。

写真4
坂上あたりの様子です。(写真4)
このあたりにくると切通しの雰囲気もわかりやすかったですね。
ちなみに、坂名由来で陸軍病院やら司令部の話がでてきたので、このあたりの土地(地霊)のこともふれておくとですね、どうやらこのあたりは明治から終戦まで陸軍の重要拠点だったようですね。
流れとしては、1885年(明治18年)に陸軍教導団が東京市から移転し、その後、野砲兵連隊など多くの砲兵部隊が駐屯し、広大な演習場で訓練をおこなったそうです。そして戦後、旧陸軍用地が文教地区へと転換され、現在の大学(和洋女子大学や千葉商科大学)や病院、公園などが整備されたとのこと。
一応、 今昔マップで古地図も見てみると、掲載されている一番古い明治36年の地図を見ても旧陸軍関連の施設名が坂道周りにびっしり書かれていましたね。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図:千葉県市川市国府台+市川
関連リンク:
坂名:旅団坂
住所:千葉県市川市国府台+市川
今回は千葉県市川市の国府台と市川にまたがる旅団坂について取り上げてみたいと思います。
場所は京成本線・国府台から北に600mほどのところにある和洋女子大学と千葉商科大学の間にある坂道です。
[坂下あたりの様子]

写真1
まずは坂下あたりの様子です。(写真1)
ここは京成本線・国府台から北に徒歩5分ほどのところにありました。
松戸街道沿いにあり、道幅の広めで傾斜もそれなりにある坂道でした。

写真2
写真1のすぐ右側には国府神社の鳥居と参道にあたる急階段がありました。(写真2)
ここから本殿まではかなりの高低差があり、距離も短い区間で上る形だったので、写真2でも中央左上にちらりと見えているとおり急階段でしたね。
国府神社について、現地に案内看板がありました。
いつものように一部抜粋させていただくとですね、
『国府台の地名の起源には、日本武等に関わる伝承があります。それは、日本武尊が東征の帰路に現在の江戸川の辺りに臨んだところ、浅瀬がわからず渡河に難渋したとき、飛んできたコウノトリが浅瀬を渡って案内したことにより、無事渡ることができたので、日本武尊は喜び、この台地をコウノトリに与えたことから、「湯之台」とよばれるようになったという話です(一般的には、国府の近くにあった台地であるから、国府台の名称が起こったと言われています)。この伝承に由来するのが国府神社で、寛治元年(一〇八七)二月八日創建で、祭神が日本武尊、ご神体がコウノトリの嘴(くちばし)、と伝えられています。』
とありました。
1087年創建とのことで、かなり歴史がある神社のようですね。
[中腹あたりの様子と坂名について]

写真3
中腹あたりの様子です。(写真3)
このあたりからカーブしていて、坂道風景的にも印象的でした。
また切り通しにもなっているようですね。
坂名については、現地に由来などが書かれている坂の碑はありませんでしたが、「国府台陸軍病院の想い出」という古い書籍で旅団坂の名前がでてきていて、本の中では、何度か、かつて坂上あたりにあった国府台陸軍病院へ向かう話で、旅団坂を上りつめて赴任したという感じで出てきていました。(ただし、かつての国府台陸軍病院が、今の国府台病院あたりか、和洋女子大学あたりにあったのかによっては話がすこしややこしくなりますので、あしからず。)
あと「旅団坂」の坂名については、写真3の左あたりに陸軍の野砲連隊第二旅団司令部があったからと書いている坂道系サイトが多々あり、おそらくそれが有力なんでしょうね。
[坂上あたりの様子]

写真4
坂上あたりの様子です。(写真4)
このあたりにくると切通しの雰囲気もわかりやすかったですね。
ちなみに、坂名由来で陸軍病院やら司令部の話がでてきたので、このあたりの土地(地霊)のこともふれておくとですね、どうやらこのあたりは明治から終戦まで陸軍の重要拠点だったようですね。
流れとしては、1885年(明治18年)に陸軍教導団が東京市から移転し、その後、野砲兵連隊など多くの砲兵部隊が駐屯し、広大な演習場で訓練をおこなったそうです。そして戦後、旧陸軍用地が文教地区へと転換され、現在の大学(和洋女子大学や千葉商科大学)や病院、公園などが整備されたとのこと。
一応、 今昔マップで古地図も見てみると、掲載されている一番古い明治36年の地図を見ても旧陸軍関連の施設名が坂道周りにびっしり書かれていましたね。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図:千葉県市川市国府台+市川
関連リンク: