NO.742
坂名:小篠坂、小笹坂
住所:東京都文京区大塚+目白台、豊島区雑司ヶ谷+南池袋
今回は、文京区と豊島区にまたがる小篠坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、東京メトロ有楽町線・護国寺駅から西に200mほどのところにある坂道です。
前に取り上げた希望の坂【NO.724】からなら徒歩1分ほどのところにありました。

写真1
まずは坂上あたりの様子です。
この坂道は文京区と豊島区の区境あたりにあるのですが、このあたりは豊島区でした。
坂道自体は、道幅も広くカーブしながら下り、右側の首都高速5号池袋線の高架もあり、独特な坂道風景でしたね。

写真2
中腹あたりの様子です。
この坂道は全体的に傾斜がゆるやかなので、このあたりまでくると、写真では平坦に見えてしまいますね。
写真2左側は護国寺の墓地で緩やかな崖地になっていました。
ちなみに護国寺の墓地と首都高速5号池袋線の高架の様子を写したものは、希望の坂【NO.724】の記事の4枚目がそれですね、気になる方はあわせてよかったら。

写真3
坂下あたりの様子です。
ここからみるとほぼ平坦な道のようでしたね。
坂名については、このそばに由来が書かれた案内板がありました。
いつものように抜粋させていただくとですね、
『豊島区と境を接する坂である。この坂道は、江戸のころ、護国寺の北西に隣りあってあっ た。"幕府の御鷹部屋御用屋敷"から、坂下の本浄寺(豊島区雑司が谷)に下る坂として新しく開かれた。往時は笹が生い繁っていたことから、この名がついたものであろう。坂下一帯は、文京の区域を含めて、住居表示改正まで、雑司が谷町とよばれていた。近くの目白台に長く住んだ『窪田空穂』は、次のようによんでいる。
雑司が谷 繁き木立に降る雨の
降りつのりきて 音の重しも 』
とありました。
”笹”由来でしたか。
ちなみに御鷹部屋御用屋敷(おたかべやごようやしき)とは、江戸幕府において将軍の「鷹狩り」に使うタカの飼育や訓練、および関連する用具・施設を管理するために設けられた幕府直轄の施設のようですね。
あとここは、坂下の案内板以外に、写真2そばの中腹あたりにも、坂名の由来が書かれた坂の碑があったのですよ。
こちらも抜粋させていただくとですね、
『この坂を小篠坂といい、小笹坂とも書く。江戸時代後期の「若菜抄」によれば小笹坂とあり、一七世紀はじめ御鷹部屋が現在の雑司が谷霊園内にできてから、本浄寺の東に谷道を新道として開いたといわれる。この坂の東側は江戸時代初期、大塚御薬園であったが、天和元年(一六八一年)に護国寺となった。江戸名所図会には小篠坂と記されている。』
とありました。
由来に関する内容が違う坂の碑が2つもあるパタンは珍しいですが、どうやらこれは、ここが文京区と豊島区の区境を通っていることと関係している可能性が高そうですね。
というのも、最初の由来説明は、文京区教育委員会で、後半の由来説明は東京都によるものだからです。
地図を見ても坂上&中腹あたりまでが豊島区、坂下が文京区なので、そういうことだと思います。

写真4
こちらは、中腹にあった東京都の坂の碑に刻まれていた『江戸名所図会』の絵図です。
ちょっとこの絵図だけでは、現在の位置関係に重ねるのは難しいですが、”本浄寺”という文字だけはわかりますね。
ちなみに、本浄寺はいまもあります。
どうやら、もともとは谷中にあり、そのあと、宝永3年(1706)にこの地に移転したという話なので、由来説明にもあった「一七世紀はじめ御鷹部屋が現在の雑司が谷霊園内にできてから、本浄寺の東に谷道を新道として開いたといわれる。」とも辻褄があっていそうですね。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図:東京都文京区大塚+目白台、豊島区雑司ヶ谷+南池袋
関連リンク:
坂名:小篠坂、小笹坂
住所:東京都文京区大塚+目白台、豊島区雑司ヶ谷+南池袋
今回は、文京区と豊島区にまたがる小篠坂について取り上げてみたいと思います。
場所は、東京メトロ有楽町線・護国寺駅から西に200mほどのところにある坂道です。
前に取り上げた希望の坂【NO.724】からなら徒歩1分ほどのところにありました。
[坂上あたりの様子]

写真1
まずは坂上あたりの様子です。
この坂道は文京区と豊島区の区境あたりにあるのですが、このあたりは豊島区でした。
坂道自体は、道幅も広くカーブしながら下り、右側の首都高速5号池袋線の高架もあり、独特な坂道風景でしたね。
[中腹あたりの様子]

写真2
中腹あたりの様子です。
この坂道は全体的に傾斜がゆるやかなので、このあたりまでくると、写真では平坦に見えてしまいますね。
写真2左側は護国寺の墓地で緩やかな崖地になっていました。
ちなみに護国寺の墓地と首都高速5号池袋線の高架の様子を写したものは、希望の坂【NO.724】の記事の4枚目がそれですね、気になる方はあわせてよかったら。
[坂下あたりの様子と坂名について]

写真3
坂下あたりの様子です。
ここからみるとほぼ平坦な道のようでしたね。
坂名については、このそばに由来が書かれた案内板がありました。
いつものように抜粋させていただくとですね、
『豊島区と境を接する坂である。この坂道は、江戸のころ、護国寺の北西に隣りあってあっ た。"幕府の御鷹部屋御用屋敷"から、坂下の本浄寺(豊島区雑司が谷)に下る坂として新しく開かれた。往時は笹が生い繁っていたことから、この名がついたものであろう。坂下一帯は、文京の区域を含めて、住居表示改正まで、雑司が谷町とよばれていた。近くの目白台に長く住んだ『窪田空穂』は、次のようによんでいる。
雑司が谷 繁き木立に降る雨の
降りつのりきて 音の重しも 』
とありました。
”笹”由来でしたか。
ちなみに御鷹部屋御用屋敷(おたかべやごようやしき)とは、江戸幕府において将軍の「鷹狩り」に使うタカの飼育や訓練、および関連する用具・施設を管理するために設けられた幕府直轄の施設のようですね。
あとここは、坂下の案内板以外に、写真2そばの中腹あたりにも、坂名の由来が書かれた坂の碑があったのですよ。
こちらも抜粋させていただくとですね、
『この坂を小篠坂といい、小笹坂とも書く。江戸時代後期の「若菜抄」によれば小笹坂とあり、一七世紀はじめ御鷹部屋が現在の雑司が谷霊園内にできてから、本浄寺の東に谷道を新道として開いたといわれる。この坂の東側は江戸時代初期、大塚御薬園であったが、天和元年(一六八一年)に護国寺となった。江戸名所図会には小篠坂と記されている。』
とありました。
由来に関する内容が違う坂の碑が2つもあるパタンは珍しいですが、どうやらこれは、ここが文京区と豊島区の区境を通っていることと関係している可能性が高そうですね。
というのも、最初の由来説明は、文京区教育委員会で、後半の由来説明は東京都によるものだからです。
地図を見ても坂上&中腹あたりまでが豊島区、坂下が文京区なので、そういうことだと思います。

写真4
こちらは、中腹にあった東京都の坂の碑に刻まれていた『江戸名所図会』の絵図です。
ちょっとこの絵図だけでは、現在の位置関係に重ねるのは難しいですが、”本浄寺”という文字だけはわかりますね。
ちなみに、本浄寺はいまもあります。
どうやら、もともとは谷中にあり、そのあと、宝永3年(1706)にこの地に移転したという話なので、由来説明にもあった「一七世紀はじめ御鷹部屋が現在の雑司が谷霊園内にできてから、本浄寺の東に谷道を新道として開いたといわれる。」とも辻褄があっていそうですね。
ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。
地図:東京都文京区大塚+目白台、豊島区雑司ヶ谷+南池袋
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