今回は、これまで取り上げた小篠坂【NO.742】や希望の坂【NO.724】からすぐの場所にある護国寺の境内にもいい階段があったので、そのときのことでも。

[階段下あたりの様子]


護国寺の階段と音羽富士1
写真1

いきなりですが、護国寺の境内にあった階段です。
階段上には不老門があり、いい感じだったのでぱちりと。

ちなみに護国寺については、「富士見坂【NO.18】その2」でもふれていますが、だいぶまえのことなので、いちおうここにも記事の文を載せておきますね。
『1681年に五代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院によって創建され、江戸幕府の厚い庇護を受け、格式高い寺院として発展したことで知られています。境内には重要文化財の本堂や惣門など歴史的建造物が残り、江戸の面影を色濃く伝える寺として知られ、現在も多くの参拝者が訪れる名所です。』

[富士塚について]


護国寺の階段と音羽富士2
写真2

あと、階段下すぐそばの場所に「音羽富士」もありました。

この音羽富士は高さ約7メートルある富士塚で、江戸時代の富士信仰(山護講)により1817年頃に築造されたとのこと。
都内では数少ない寺院内にある富士塚として知られ、江戸七富士(他は品川富士、千駄ヶ谷富士、下谷坂本富士、江古田富士、十条富士、高松富士)の一つとされています。

やはりなにか不思議な空気感を醸し出していましたね。


[階段上あたりの様子]


護国寺の階段と音羽富士3
写真3

階段上の様子です。
不老門はあえて幅を絞った収まりになっており、くぐる前後の空間に心地よいメリハリを生み出していました。
なかなか興味深いつくりでしたね。

なお「不老門」については、護国寺の公式HPにも記載があり、『昭和13年(1938)4月建立、三尾邦三氏の寄進。様式は京都の鞍馬寺の門を基本に設計され仁王門と本堂の中間に建立された。施工は仰木、川面建築設計事務所、また額面「不老」の二字は徳川家達公の筆によるものである。』とありました。

けっこう新しい門だったのですね。

ちなみにこの階段は、歴史的にも景色的にも神社仏閣によくある「男坂」と呼んでもいいレベルのものですが、とくに坂名はついていないようでした。

護国寺の階段と音羽富士4
写真4

最後は、写真3の背後に見えていた本堂の様子です。

こちらも護国寺の公式HPにも記載がありました。
『現在の観音堂(本堂)は、元禄10年(1697)正月、観音堂新営の幕命があり、約半年余りの工事日数でこの大造営を完成し、同年8月落慶供養の式典が挙げられた。また元禄時代の建築工芸の粋を結集した大建造物で、その雄大さは都内随一のものと賞され、しかも震災・戦災と二度の大災害にも襲われながら姿も変えず、江戸の面影を今に伝え、訪れる人々に安らぎの場として親しまれている。』

震災・戦災も乗り越えて300年以上前のまま残っているということなんですかね。
だとしたら、すごいですね。

ということで、すこし前の写真での紹介となりましたが、今回はこんな感じです。

地図:東京都文京区大塚5


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